お寺

2日間ということで上京したが、お葬式のあとに初七日の法要も続けてあるとのことで、時間に余裕を持たせてもう一泊した。

上京した日、お寺はJR水道橋から徒歩5分とのことだったが、大都会のど真ん中で、ビルだらけで方向も麻痺して、3人に道を聞いて、ようやくたどり着いた。
3人目の方が、「ここからまっすぐ行くと左にありますよ。ビルですよ」と教えてくれたとき、軽いショックを感じた。ビルなんや、お寺。

そのお寺は4階建てで、1階はロビー、2階は本堂と副本堂、3階は控え室、4階は会食ができる食堂になっていた。そして、1階の奥はお位牌を収納してある礼拝堂があり、家族がカードを差し込むと、そのお位牌が出てきて見えるようになっている。地下一階は、お遺骨が納骨されて、お墓になっている。合理的なシステムではあるが、カルチャーショックだった。


亡くなったおばに最後にお会いしたのは、7年前で、いとこの兄弟とは約30年ぶりの再会だった。おばは、とても優しくて、いつも人のことを気にかけてくれていた。母より一回り下で、67歳だった。
体調に異変を感じて病院に行った時は、もうダメだ、治療も出来ないと言われ、おじも「うそでしょう?こんなこと、あるの?」と驚いたそうだ。そしてそれから1ヶ月にも満たない入院でこの世を旅立ったそうだ。大好きなおばだった。天国で安らかに過ごして欲しいと心から思う。


おじの兄妹の方が千葉在住で、家からおにぎりを作って持ってきてくれていた。落花生が入ったおにぎりを初めて頂き、美味しいのにびっくりした。

一期一会という言葉があるが、今回はその言葉そのままの集まりだった。おじ方の親戚の方には、もう多分お会いすることがないと思うが、おばがとても大事にされていたのがよくわかって、うれしかった。


今度の旅は、私にとっても81歳の父と79歳の母との最後の親子水入らずの旅となるかもしれない、と思っていたが、強烈キャラの母に3日間お付き合いをして、もうええわ、と思う旅でもあった。
3日間で、1年分くらいの気遣いと忍耐を強いられた気がする。父が仏様に見えた3日間でもあった。縁起でもないが、他の言葉では表現できないくらい、心底そう思ったのである。