「すぐできる」

小学生と、大人と、同じ言葉なのに、捉え方が全然違う言葉があるように思う。それは、「早くできる」という言葉だ。

今日、雨が降って外遊びができなかったので、クリスマスの飾りを作ることにした。
色画用紙に、緑の色紙をドーナツ状に丸く切ったものをリースに見立てて貼り、その上に、切り紙で作った金色の花のリースを重ね、丸の中には折り紙で作った小さなサンタさんを貼って、まわりに、プレゼントの箱に見立てた四角い折り紙を貼ったり、星形に切り抜いた金紙銀紙を貼って作るものだ。赤いリボンも折り紙で作ってある。

私が先週から完成品を作ってあったので、それを見せて、「これを作りますよ。」と言ったら、「ええ、難しそう」というので、「せんせいが、全部小物を作ってあるので、それをノリで貼っていくだけだから、すぐできるよ」と説明した。

1年生は、6人いたが、その中の一人が、「おれ、やらん」と言って、いくら誘っても、「だって、作って帰っても、かあさんに”ゴミや”と言って捨てられる」と作ろうとしなかった。その子がこの間作っていた、ティッシュペーパーの箱に、トイレットパーパーの芯をはりつけたロボットがちらっと脳裏をよぎった。あんた、それとこれとを一緒に考えているのかい、と思ったが、口には出せない(笑)
製作は強制ではないので、「じゃあ、見てたらいいよ。作りたくなったら、言ってね」とその子に言った。
そして、あと少しでほとんどの子が完成するころ、その子が言った。「せんせい、すぐ出来るって言ったけど、30分もかかとるやんかー。」
そりゃ、そうやろ。これだけ、豪華?なものを作るんだよ。貼るものも、いっぱいあるのに。
「すぐできる」というのは、手間なく作れるよ、面倒なものは、全部せんせいが作ってあるから大丈夫、という意味だったんだけどね。


そういえば、以前、3年の、算数の苦手な男の子の宿題を見てあげていたとき、筆算の答えのところに、間違った答えを何度も消して、その跡がいっぱい残って真っ黒になっていたので、
「ここ、もっとキレイに消して、もう一度計算しなおしなさい。そのほうが早いよ」といったところ、消しゴムで消した後に、「せんせい、早くできる、って言ったけど、また考えないといかんのだから、全然早く出来ないやん。」とキレられたことがあった。
彼にしたら、消しゴムでそこを消したら、答えがスっと出てくるとでも思ったのだろうが、そんなわけあるはずない。
こっちは、「何度も書いて真っ黒なところにまたゴチャゴチャ繰り上がりとかの数字を書いてもわけわからんようになるだけだから、きれいに消して、スッキリしてもう一度考え直したほうが早く答えも出るのでは」ということが言いたかっただけ。

子供に言う時は、「手間はかからないよ」とか「計算の数字が見やすいよ」とか、具体的に言ってあげたほうが誤解がないんだな、と一つ勉強になった次第。