目の記録

小学生のころ、視力検査で「眼科へ行きなさい」という紙をもらって、行った病院ですぐメガネを処方された(記憶がある)。

そのころ、母が、「世界文学全集」という本を月に1冊ずつ本屋から届けてもらい始めた。多分50巻くらいの全集ものであった。

それを、私は、別にメガネがなくても読めるのに、よりくっきり見えるのがおもしろくて、わざわざメガネをかけて読みふけった。

結果、メガネの度に目がどんどん合っていって、近視が強くなった(気がする)。


小6のころには、常時メガネをかけるようになった。
夏の水泳の授業の時、メガネのところだけ日焼けしてなくて跡がついている、と同級生に指摘され、かなり傷つく。


中学になってからは、他の小学校から来た子に、「メガネをかけている」=「勉強ができる」みたいに言われ、そのギャップ(笑)に悩む。
そのころから、授業中以外は、メガネをはずすようになった。(思春期や〜)


高校生になって、市内の眼科がコンタクトレンズの処方をしている、と聞き、同級生の自転車を借りて(あたしは電車通だった)、放課後に受診に行った。まだ、コンタクトレンズの出始めの時である。

その頃は、一度処方されたレンズを2,3年使っていた。ソフトコンタクトは、1週間ごとに、タンパク質をとる液に一晩つけて、そのあと煮沸消毒をしていた。ケアが大変だったけど、メガネをかけずに裸眼の感覚で遠くまで見えるのは、ほんとに世界が変わったような気がしたものです。


それからは、ずっとコンタクトを使用。
高2の修学旅行の時、朝にコンタクトを入れる私を、横で凝視していた同級生が、レンズが入った瞬間、「うわあ」と言ったのをよう覚えとります。


大人になってから、コンタクトも使い捨てが出てきた。
面倒な煮沸消毒もいらなくなって、使いやすくなった。
コンタクトをはずしたときに掛けるメガネのレンズも、昔はほんまに分厚くて重かった。でも今は、かなりキツイ度でも、薄いレンズが出て、見栄えもよくなりましたわ。といっても、強度近視のレンズの入るフレームは限定されますがね(泣)


30代のころ、マンスリーのコンタクトで両目1.5。近くも遠くもくっきりはっきり見えて、怖いものなし。
40代後半、ちょっと老眼が入ってきたかな、という眼科医の処方で、少しコンタクトの度を下げて、両目1,0。快調。

49歳。左目に、もやもやしたものが現れる。診断は、飛蚊症
それが、だんだん多くなってきて、視力が低下。
でも「飛蚊症では、視力は低下しない」とのことで、どうなってんだ〜〜、と焦る。漢方の病院に通い始めたのもこのころ。

左目だけ、検査のたびに度の強いコンタクトに変え、そうこうしているうちに、「白内障」という診断がくだった。
白内障、というのは、白髪と同じで、普通は両目に出るものだそうです。(加齢性の場合)
それが、片方だけ症状が出ているというのは、なにか外傷性のものがあったのでは、ということ。

そういえば、15年前くらいに、試合中にバレーボールが左目にバ〜ンとぶつかって、冷やしたのを思い出した。それが原因かどうかはわからないけど。(ママバレーね)
なんで、そんな前の事を覚えているかというと、思いっきり私の顔にボールをアタックした相手が、「ごめんね、綺麗な顔にボールぶつけて」と言って謝ってきたからです。それって、どう受け取れば・・!?という感じじゃんね???

それから、「目の手術なんて怖すぎる」と悩み、ある時は0.8見えたり、なぜか1.2見えたり(でも、視界は白いモヤモヤのまま)、どうするべえ、と悩んだけど、今年10月の職場の健康診断で、0,3と言われ、左目の前に常にある白いモヤモヤのせいで、本人もかなり鬱っぽくなり、手術をすることになって、11/29に左目手術、と相成ったのでありました。わたくし50歳の初冬のモノガタリ