カップラーメン

昨日は体調もまずまず戻り、たまっていた新聞の切り抜きをした。

読売新聞 1/7(土) 文化欄 昭和時代第1部30年代

《インスタント食品発売の歴史(インスタントラーメン関係抜粋)》

1958(昭和33年) 「チキンラーメン」発売
1958(昭和34年) 「エースラーメン」
1962(昭和37年) 「明星ラーメン」
            「マルちゃんのハイラーメン」 
1963(昭和38年) 「マルちゃんのたぬきそば」
            「日清焼そば」
1964(昭和39年) 「長崎タンメン」
1971(昭和46年) 「カップヌードル


私が生まれたのは1962年(昭和37年)、その前後にインスタントラーメンが登場している。
記憶にあるのは、小学生のころの土曜日のお昼ご飯は、ラーメンに野菜と肉を入れたものが多かったなあ、ということ。
母親が、「肉と野菜を入れとったら、栄養のバランスもええんよ。」と私に言い聞かせたのをよう覚えている。
そんなものなんや、料理って簡単、と幼心に感心した(笑)

そして、忘れもしない小学5年生の時、グループ学習で模造紙に調べたことを書くため、土曜の午後、友達の家に集まった時のこと。
みんな、カップラーメンを1個ずつ持ってきて、お湯を沸かしてもらって、3分間待って食べた。カップラーメンに慣れてなかった私は、ふたを全部はがしてしまって、グループのとても勉強ができた男の子に、「フフン」と鼻で笑われて、ショックだった。
カップラーメンが発売されてから、まだ1,2年のころである。
愛媛の田舎の小学生が、カップラーメンを持って集まるのである。
どれだけ、カップラーメンがあっという間に広まったか、がよくわかる出来事ではないだろうか。

なお、愛媛では、「模造紙」のことを、昔から「とりのこ用紙」という。今も言う。
なんでだかは、わかりません・・・(ー_ー)!!


去年、世間様を騒がせた、愛媛の有名企業、「大王製紙」の前会長は、私より1,2コ下くらいだったと思う。
彼は中学までこっちにいて、高校からは東京に行ったと聞いている。
あの事件が発覚したとき、テレビが地元に取材にきて、中学の同級生に、彼のことを聞いたりしていた。
その時のコメントに、「土曜日の昼に、よく彼の家に遊びに行ったけど、インスタントラーメンを食べよったけん、びっくりした。」というのがあった。

なぜ、びっくりしたのか。
大企業の御曹司は、豪華なランチを食べてていると思っていたのに、インスタントラーメンを食べていたのでびっくりしたのか。
そのコメントをした人の家は、土曜のお昼はお母さんがちゃんと手をかけた料理を作ってくれるので、土曜のお昼にインスタントラーメンを食べる人がいるなんて、とビックリしたのか。

それとも、御曹司が一人でラーメンを作って食べていたので、びっくりしたのか。それならわかる。
土曜のお昼に、お母さんが楽をするために、普及し始めたラーメンを作って家族に食べさせるというのはあの時代には結構ふつうのことであった。
もしかしたら、なんにも具のない素ラーメンを食べていたのかもしれない、なんて、勝手に想像して、「それにしても、1億くらい、私にくれたら有効に使うのに・・。もったいない。」と思ったりした。