「空しく老いぼれた人」

昨日、ニュースを見ていたら、各地の成人式の様子を伝える映像のあと、東京で一人”ネット成人式”に参加した女子学生の映像があった。バーチャルの街で自分の設定したキャラクターが周りのキャラクターから、「おめでとう」と言ってもらっている。

地方から東京に出てきていて、すぐ後期試験なので地元には帰らず、バーチャルの成人式に参加し、勉強をしている。「寂しいけど、いい成績をとって、就活につなげたい。」と言っていた。地方からはなかなかたびたび帰れないよな、と自分の経験上、深く共感して、「頑張れ」と心の中でエールを送った。私の大学時代にこれがあったら参加していただろうが、そのころは、コンピューターは「電脳」と呼ばれ、部屋いっぱいに部品が詰め込まれ、一つの機械を構成していた時代だ。とてもとても。

話は変わるが、「ボクは坊さん」白石密成 ミシマ社 を読んでいたら、古いインドの仏典の言葉で、「頭髪が白くなったとて<長老>なのではない。ただ年をとっただけならば、〔空しく老いぼれた人〕と言われる」(『ダンマパダ』ー法句経ー二六○)という言葉が紹介されていた。著者も、「大きな声では言えないけれど・・・」と前置きして紹介している。

ズドッ、と心に響いた。あまり、「大人になかなかなれない」とか、自分でカミングアウトしていると、「空しく老いぼれた人」と見られてしまうかもしれない。もう少し言葉にも気をつけて、中身も充実していくことを考えないといけないだろうよ、と自戒した。

この本は、1977年生まれの57番札所の若い住職が書いた本だが、真言密教の教えを若い感性で軽快に読ませてくれる。他にもよい言葉がいっぱい載っている。
「善をなすのを急げ。悪を心から避けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。」
孤独についての言葉。「旅に出て、もし自分より優れた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。」等。合掌。