東洋のマチュピチュに行ってきました。

暑い。
突然夏が来たようだ。この間までコートを着ていたのに、昨日は半袖でお出かけした。

東洋のマチュピチュ、と最近密かにブームになっている、新居浜市の東平(とうなる)に行って来た。

大正5年に別子銅山の採掘本部が置かれ、この山深い地区に銅山関連施設、生活関連施設が整備され、最盛期には3800人もの銅山関係者とその家族が住み、昭和43年に休坑となるまで山の町として賑わっていた。

小学校、病院、娯楽場まであったそうだが、いまはその址が残るのみだ。
トンネル、貯鉱庫、選鉱場、索道停車場などのレンガ造りの建築物の一部が現存している。
青葉の山々に包まれ、廃墟の前にたたずむと、このまま自然の中に非力な人間の作った建物が飲み込まれていく感覚にクラクラしそうだ。
自然回帰、ってこんなことを言うのだろうか。
山つつじ、山吹、つりがねつつじ、しゃくなげ、花々も咲き乱れていた。

歴史資料館は無料、マイン工房という施設で銅の工作が出来るようになっている(有料)。
レストランやお土産屋さんなどは無い。自動販売機が1台据えてあるのみ。
駐車場の整理や、市内から東平に向かって上って行く細い道の車の通行の規制などに、たぶん地元のボランティアの方達だろうが、よく働いておられた。
あえて観光地にしない、という姿勢に好感がもてる。

昔、人がいっぱいいて、今は廃墟になっている土地の、一種独特の雰囲気って、すごい。自分もこのまま、長い年月を経て静かに自然の中に朽ち果てていきたい、という今までには無かった感覚が生まれたような気がする。

と書きながら、現(うつつ)の世界では右にTVが金総書記の訪中を語り、正面にPC、窓の外には工事のトラックが山盛りの土積んで何回目かの積み下ろしでドゴンドゴン、天井では、上の階のお掃除好きの奥さんがかける掃除機の音が轟轟と何回も響き渡り、いつまでたっても止みそうになく、私が病みそうなほどですが・・。

「どこでもドア」で東平に避難したい。
でも、今の私ができることは、TV消して、PCも終わりにして、工事の音から一番遠い部屋に避難することしかないのです。

おお、今、空にはヘリコプターまでやってきました。バタバタバタバタ。
事件でもあったんかいな???
昨日の静寂が、夢のようです。