宇高航路当面存続へ
京都の大学へ行く時、愛媛に帰省する時、必ず乗った宇高連絡船。
1988年の瀬戸大橋開通で、JRの経営する連絡船は廃止されたが、岡山県玉野市の宇野港と、香川県の高松港を結ぶ宇高航路は、四国フェリーと国道フェリーが守ってきた。
国鉄が宇高連絡船を就航させたのが、1910年。
今年6月で宇高航路100周年となる記念の年に、「宇高航路今春廃止へ」というニュースが発表され、衝撃が広がった。
麻生政権の、高速道路料金上限1000円制の導入で、本四架橋(瀬戸大橋)ルートに客足を奪われ、旅客数3割減、自動車輸送台数4割減となり、鳩山内閣の「高速無料化」宣言で、ダメ押しの痛手を負った。
2月12日、宇高航路撤退を決めた四国、国道フェリー両会社の社長が会見し、「経費を切り詰めたがもう限界。」と語った。
しかし3月4日、国道フェリーが四国運輸局に出した宇高航路の事業廃止届を取り下げ、当面の運行を継続することを発表した。
同社の山下社長は、取り下げの理由について、存続を望む声が多数寄せられたことなどを挙げ、6月から始まる高速無料化の社会実験後の新料金設定を見極めたいとし、航路を維持しながら改めて存廃を判断する、と述べた。
3月11日、国道フェリーに続いて、四国フェリーも運輸局に出していた事業廃止届を取り下げた。
同社の堀川取締役営業部長が会見し、
「多くの声援をいただき、改めて航路の社会的使命を実感した。存続が使命と考えた。」と述べた。
同時に、大半の従業員を3月末で退職させ、来月に別会社で再雇用して人員確保する経営合理化策を発表した。
昨日の山陽TVの夕方のニュース番組で知ったのだが、高松市では、宇高航路100周年の記念イベントを行う予定で準備していたそうだ。
その矢先に、航路廃止ということで、大変なショックを受けていたのだが、存続が決まり、また活気付いているという。
キャストの方が、「四国の玄関口、高松」とおっしゃっていた。
瀬戸大橋が出来てから、四国から本州へ向かう列車は香川県坂出市から
橋を渡って岡山へと向かう。
高松へ行く乗客は、坂出で列車が切り離され、一路終点高松へと向かう。
高松の駅は、線路の終点だ。高松駅で降りると、そこで線路が終わっているのを見ることができる。
ここからは、船に乗り換え、本州を目指すのだ。大学生の私は荷物をかかえ、宇高連絡船の待つ船着場にダッシュしたものだった。
今は昔。
フェリーが国の政策で廃止されていくのは腑に落ちない。
私のように、もう今は利用しない者がいろいろ言うのはおかしいのかもしれないが、香川と岡山を日常の行き来で利用している人たちへの影響を考えると、なぜ、国が国民を苦しめる政策をとるか分からない。
宇高航路は、今は存続となったが、今後の状況は厳しい。
宇高航路の歴史をまとめて載せておく。
本文参考、すべて読売新聞より。
1910年 国鉄が宇高連絡船を就航
55年 紫雲丸事故。168人が犠牲に。
本四架橋構想のきっかけとなった、と言われている。
61年 宇高国道フェリー(現国道フェリー)が就航
66年 四国フェリーが就航
87年 国鉄分割・民営化。
JR四国に引き継がれる
88年 瀬戸大橋開通。宇高連絡船が廃止される。
2009年3月 土日、祝日のETC割引がスタート
2010年2月 国道フェリーと四国フェリーが航路の廃止を発表
3月4日 国道フェリー 当面の運行を継続することを発表
11日 四国フェリー 経営合理化策をとり、存続を発表
最低1年間は運行を継続する、とした