フォーク世代〜夜の集会?

きのう、買い物に行ったら、スーパーの中の花屋さんで「22歳の別れ」のメロディーがギターソロバージョンで流れていた。
なつかし〜な〜。

この曲のシングルレコードは実家にある。
なんといっても、私の中学時代って、フォーク全盛期。

中3のときに、ヤマハポプコン中島みゆきが優勝して「時代」でデビューした。
吉田拓郎井上陽水は二大勢力を張っていた。
NSP(夕暮れ時は寂しそう)やとんぼちゃん(落ち葉のコンチェルト)など、フォークグループがいっぱいいた。
荒井由美がデビューしたのも同じ頃。「翳りゆく部屋」が好きだった。

男の子は、きそってフォークギターを練習していた。
もてる男の子の条件として、銀縁メガネ(!)をかけていて、細身で、ギターがひけて弾き語りなどできたら最高だった。

私のクラスでも、ギターを弾ける子が何人もいた。
学校でギターを弾く機会はなかったので、誰かの家に集まってはマイギターをかかえ、爪弾きながら、おしゃべりをしたり、お菓子を食べたり、わいわいやっていた。
でも、バンドをやろう、という話はなぜかなかった。
少し上の世代の人はバンドを組んで、公民館などでコンサートをする人もいたが。
そのコンサートに誘われて行ったことがあったが、ギターを弾きながら熱唱する歌よりも、激しい息遣いがマイクにあたって、フウフウいうのが耳障りで、マイクの位置がどうにかならないものか、みたいなことばかり言っていた。

私はギターは弾けなかったのだが、仲の良かったグループ内にギターが弾ける男の子が2人いて、教えてくれるというので、日曜日、みんなでうちに集まり、コードを教えてもらった。
C,G,Am、Dm、E7など、基本のコードは押さえられるようになったが、手が小さいのでFだけは無理だった。
左の人差し指が痛くて、音は、ペコン、としかいわなかった。
しばらく練習したが、そのうちまた話を始めてわいわいと時間が経ち、夕方になって、彼らは帰っていった。

話をしているとき、誰かが私のラジカセでみんなの会話を勝手に録音していた。

夜になって、そのテープを聴いて、私はゲラゲラと笑っていた。
私がジュースなどを取りに台所に行った間の友達のしゃべりとかが面白くて、ボリュームをあげて聴いていたら、突然母が部屋に入ってきた。

母は、ものすごい、よそ行きのニッコニコの顔をして、
「まあ、みんな、楽しそうねえ」と言った。
そして、次の瞬間、部屋に私しかいないのを見て、完全に固まった。

たぶん、「でも、もう遅いからはやくおうちに帰りなさいね。」とまでセリフの続きを考えに考えて決死の思いで入ってきたのではないかと思われた。

強い狼狽を気取られまいと、母は、「テープ聴いてたん。」と一言いって、何事もなかったように、部屋から出て行ったが、あれはなかなか楽しい出来事であった。

この母は、私が、NSPのグループ名(ニュー・サディスティック・ピンク)を覚えようと、なんどもつぶやいていると、我が意を得たり、と言う様に、
「そうよ、英単語はそうやって繰り返して覚えるものよ」と満足げに言い放ったりして、自分の教育方針に絶大なる自信を持っているのだが、実は時々おもしろかったりしたのだ。

大人になって、私は子供用の小さいギターを通販で買ってまたトライしてみたりしたが、弦が指先に食い込んで痛くてやっぱり無理だった。
残念ではあるがしかたがない、ともうあきらめている。