お嬢、曰く

バスガイドの御嬢さんの話を書く。

御嬢さんは、京都の四条新町という、鉾町で生まれ育ち、18でバスガイドになり、45年間のキャリアをつんで、現在に至る。それプラス、結婚してみたり、子育てしてみたり、他の仕事もしてみたりしたそうで、実際年齢は不詳である。

今は、引退して、時々頼まれる仕事にだけ、出ている。仕事の間はとにかくしゃべるが、それが終わると「沈黙の日々(笑)」だそうだ。

今は、桃山のほうに住み、近所に立命の物理の先生が住んでいて、自分が疑問に思ったことを、なんでも質問して答えを教えてもらえる、という恵まれた環境で暮らしている。なんにでも疑問を持ち、興味をもつ、ということが、ボケ防止の秘訣である。


2人の兄がいて、2人の妹がいる。うちがお商売をしていたので、おばあちゃんに育てられた。親は、「真ん中の子はいらへんねん」と言い切ったが、おばあちゃんは、「もなかを見てみ。上と下は皮や。真ん中は餡や。真ん中がなかったら、もなかやあらへん。」と言って大事に育ててくれた。


自分はスチュワーデスになりたかった。でも、自分が就職か、進学か、と悩んでいた時、世の中では飛行機墜落事故が相次いだ。ある日、おばあちゃんが勉強部屋にきて、「あんた、飛行機に乗る仕事がしたいんか。だったらやめとき。」と言った。自分は、「はいはい。」と言って、適当にあしらったが、ふと見ると、おばあちゃんは目に涙をいっぱい溜めて、自分を見ていた。これはかなわん、と思い、制服がよく似ているバスガイドになることにした。バスなら、墜落することも無い。


京都というところは、いっぱいお金を持って、遊びに来るところである。決して、結婚して住んだりするところではない。もし、京都の男の人と結婚して住まはる、という娘さんがいたら、止めてあげてほしい。
近所の人は、ひとつひとつに目を光らせて、その時はニコニコしているが、陰ではすべてを噂する。

自分は、娘時代、神戸の元町などで最新のファッションを買って、それを着て外出した。ご近所さんは、すべてそれをチェックし、「○さんの御嬢さん、今日はこんなの着てはったえ。」と噂の種にしていた。


2人の妹とも、女同士やから、胸の内は明かさへん。いっしょに遊びにいこか、ということになったら、まず、上の妹から「お姉ちゃん、何着ていかはんの?」と電話がかかっている。「織り、かなぁ」と答えると、「うんわかった。下の妹にもゆうとくわ」と言う。なにが、わかったのやら、わからない。

着物の事をよく知らない人のために説明すると、着物には、織りと染めがある。格としては、染めが上である。何十万もの織りの着物でも、2,3万の染めの着物にはかなわない。染めなら、公式の場に着て行ける。

いざ、遊びに行く日、自分はせっせとお金を貯めて、何十万もかけて作った大島紬を着て行った。仕付け糸をその日にのけて着た。
妹は、「あらー、お姉ちゃん、その大島、よう映らはるわー。」と言った。絶対、「よう似合ってはる」ではなく、「よう映らはる」である。そして、「いつ作らはったん、その着物は」と聞くので、「いややわ、こんなん、前から持ってたわー。」と言って、「そうかぁ?」「そうや」という会話をしたのだ、ということである。


他にも、お母さんが最後には痴ほう症になり、娘がわからなくなり、「どなたはんでっしゃろか?」と顔を合わすたびに言われ、「あんたの娘やあらしまへんやろか」と答えていたが、涙が止まらなかったこと、長兄が、病気で亡くなる前に、兄妹で旅行に行き、帰りに、一人一人に手紙を手渡してくれ、それを読んだ時に、「兄は、自分をちゃんと見ていてくれていたんだ」と実感して、とてもうれしかったこと、など、色々なことがあったそうです。


しゃんとした、京女のかたでした。すごかった。知識が豊富で、語りも豊富で、歌だけがちょっと苦手らしい。
でも、最終日、帰路に着いた時に、エコーをかけて一曲だけ歌ってくれた伊勢の歌は、哀愁を帯びて、心にしみました。ありがとう。一期一会に感謝。